沼津入り 報道カメラマン石川文洋80歳 日本縦断
文洋さんからの電話着信
「今、三島なんですが、明日沼津に行くので会えますか?」
「あらまー!じゃあ、お店で夕飯食べましょう」
「お迎え行きますよ。どちら宿泊ですか?」
前回、文洋さんと沼津で会ったのは
文洋さんの写真展&講演会が沼津市民文化センターで行われた時以来。何年前だったか。
30/7月、北海道から沖縄を目指して日本縦断真っ只中の石川文洋さんが
1/16三島入り、1/17沼津入りされた。
今回二度目の日本縦断。一度目は65才。今回は80才。
「僕は、何でも食べます」
「朝5時に起きて、朝食を食べて、8時には出発。
昼はバナナとおにぎりを食べて、夜軽く食事とお酒をとって」
ということで「地酒 磯自慢」を飲みながら、刺身などをつまみに昔話に話をさかせた。
「こぼれそうな日本酒、これがイイですね」と文洋さん。
今日は沼津駅前のココチホテルにお泊りで、
ココチホテルお泊りの別ご予約のお客様とともに、
ホテルまでお迎えに行った。
旧東海道を歩きながら縦断しているという愛読書がコレ。
「ちゃんと歩ける 東海道五十三次」
本のなかに、オススメホテルとして「ココチホテル」が載っている。
なるほど!
旧東海道と宿泊先と、食事処の沼津港と、
今も宿場町としての沼津成立していますね。
1983年にはじめてベトナムをクルージングした際に、
うちの社長が石川文洋さんに船に乗船して欲しいと尋ねて行ったんですよね。
その時のはじめての会食で
「文洋さんに、そばの食べ方を教えてもらいました」
現在はベトナム観光も盛んだが、
80年代は、観光に限らずジャーナリストも一部の人にしかビザがでず
入国ができなかったベトナム。
管理人の私は当時12歳、はじめての海外がベトナムであった。
その後、三度目のベトナム寄港日に合わせて、
ベトナム初の日本語学校と日本料理店がオープンイベントを行ったね。
当時は、クーロンホテルでしたね。
今はマジェスティックホテル。
昨日、娘と近隣諸国との敵対感覚はどのように変化してきたか。
国民性と歴史について話していた。
ベトナムは観光で急激に発展してきたが
日本で見る報道ではベトナム人の感覚、報道はうかがい知れないが
文洋さんが見るベトナム、アジアはどうなんだろうか?と尋ねた。
要約すると「ベトナムは、日本に対して、とても好意的」。
私も三度訪問した「ホーチミン戦争証跡博物館」。
今も屋外展示の戦闘機等も多く見るモノを圧倒しているのだそう。
現在は一大観光スポットとなっているのだそうだ。
当時からベトナム語、英語、そして日本語の案内もある。
参考:ホーチミンの戦争証跡博物館でベトナム戦争の歴史を知ろう!
山登りなどをするうちの社長が
「その装備はモンベルですね」
文洋さん「そう、モンベルさんが
コレもアレも必要なものみんな提供してくださって」
というので、ネット調べしたら
1/8は、モンベルさんがある品川駅での旅の話がでていた。
「あー、文洋さんの箱根旅をサポートした女子二人は、このお仲間かな?」
今も、お仲間と共に、ベトナム、カンボジア旅をしているそうな。
その際は、松永さんとこピースインツアーを利用しているそうな。
(ピースインツアーは、日本のベトナム旅行を一番最初に手掛けた旅行会社)
参考:ピースインツアー
参考:新年の日本橋、石川文洋さんの日本縦断の後半の旅がスタートした。
「文洋さん、新聞記事には、つえのような道具を二本持ってたけど
あれは、歩道を歩くのにも必要なんですか?」
文洋さん「歩道を歩くんだけど、こけて骨折したこともあって
つえで体を支えて、つまづかないようにして歩いているんですよ」
大病もされた80才という年齢にもかかわらず
雨の日も、身体の不調がなければ歩き続けているというのだ。
装備に加え、旅の途中、途中でマスメディアが密着したり
お仲間が、旅サポートをしているそう。
「沼津は途中ですね。ニュース記事には、2月に沖縄到着とありましたが
もう1月半ばですね。」
文洋さん「沖縄到着は、6月を予定している」
「だれそれさんに、連絡とりたかったけど携帯番号が変わって」
「では、後半戦も、仲間にサポートしてもらわないとですね」
「文洋さんは、ガラケーだしSNSやられないから、
facebookなら、だれそれさんと連絡とれるのになー」
「文洋さんの現在地、みんなもどこかわからないですよね」
「google検索キーワードに、「石川文洋 現在地」って出てますよ」
「みなさん気になっているのではないですか?」
文洋さん「今度密着した番組が放送されるんですよ」
「いつですか?」と調べたら
「1/20(日)ですよ」
(あとで判明、1/20は再放送だった)
BS日テレ 1月20日(日)11:00~
CS「日テレNEWS24」1月20日(日)5:00~/24:00~
録画しなきゃだわ。
参考:BS日テレ
台湾空港と琉球、沖縄、OKINAWA
沖縄出身の石川文洋さん、
台湾空港の「琉球」表示の話になった。
掘り下げて知りたかったが、
文洋さんが教えてくれたような見解はネットで探せず
台北の中正国際空港の当時の行き先表示は「琉球」であった。
その後は「琉球沖縄」、
そして今は「琉球OKINAWA」が使用されている。
文洋さんと出会った頃の中学生に戻ったような気分で
頭に浮かんだギモンを、文洋さんに投げかけても
「おバカだなーという顔をもせず」昔のように丁寧に応えてくれた。
自分の言葉で、娘に教えられるようになりたいものだ。
6月の沖縄まで、そちら方面のみなさ~ん。
文洋さんが向かっていますよー。